主演なのにね。
主演なのにね。の一言に紫耀くんの努力もやりきれなさも切なさもその時の紫耀くんの感情全部が詰まっている気がしてだなぁ(TT)完璧主義者の紫耀くんはもしかしたらジャニーズの舞台で座長を経験した時はジャニーズという箱の中でやらなきゃいけないこともできなきゃいけないことも全部理解できて全部
— うみ (@___mare__) 2018年1月12日
自分なりに取り組めたのかもしれないけど、外の世界にポンと出された途端自分がやらなきゃいけないこと出来なきゃいけないことが今までの経験なんて役に立たなくて全部わかんなくなったのかなぁ、何をすべきなのか迷子になってしまったのかなぁって勝手に想像して勝手に心が苦しくなった。
— うみ (@___mare__) 2018年1月12日
先頭走ってきた紫耀くんだからこそ、主演として、先頭に立つものとしてこうあるべきとかこういう姿を見せるべき、というものがはっきりしてしまって自分の理想とは程遠い主演・平野紫耀に悩んでしまったのかなぁと勝手に思った。
— うみ (@___mare__) 2018年1月12日
上のツイート見づらくて申し訳ありません🙏
タイトルで分かる通りいまだ紫耀くんの「主演なのにね。」を引きずってしまっていますが、紫耀くんがお仕事に対してこんなにも後悔を見せることがかつてあっただろうか…
紫耀くんの話す平野紫耀って、本人も言ってたけど紫耀くんの気持ちや思考全てを紫耀くんと同じように実感できる第三者が語っているような感覚になるからすごく読み応えがあるし、よりこちら側の受け取りやすい伝え方をしてくれて読みやすいんだよね。
読みやすいというより受け取りやすい、かもしれない。それこそ第三者だから受け取る側に負担のないような言葉を使ってくれる気がするんだけど、逆に第三者だから紫耀くんの本音の部分はこちら側の想像でしか話せなくなる部分も多いと思っていて…
本音を上手く隠してしまうことも出来るというか。
最近はそういう言葉が多いなと思う。いや、昔から紫耀くんは言葉に対してそういう気遣い、心遣いをしてくれる人ではあったけど。
アイドルを長いこと続けてきたし、たくさん大きいお仕事を任されてきたし、Jr.の先頭に立って誰よりも期待される立場だから仕方がないことではあるんだけど、インタビューでどんどん転機になった仕事への想いだったりその時の葛藤だったり踏み込んだ質問をされることが増えてきたというか。
なんか、なんとなく、紫耀くんの弱みを見ることが多くなったなぁと思っていたんだけど、紫耀くんが見せてくれているというよりはそういうところに視点を置く質問が増えたのかなって思ってる。それによって、デビューした時の1万字でしか聞けないんじゃないかと思っていたような感情まで見ているような気がして……
私の中ではなんとなく紫耀くんって弱みを見せたがらない、見せることが苦手な人な気がしていて、そんな人がまるで人が変わったみたいに弱みを見せるようになるもんなのかと不思議な気持ちになるというか…
本人も望んで放った言葉ばかりが並んでるわけじゃないのかなぁとか思ったりもした。
そんな中で紫耀くんが新たに自分を守る(守るって言い方だと語弊があるかもしれないけど、まだ言えないはずの言葉を口に出す紫耀くんがなるべく人に誤解されない方法、というニュアンスです。)、そしてファンを守る方法を身に付けたのだとしたらそれは第三者の視点で話すことだったのかもなぁ…
今までもふとしたときに自分を外側から見つめることのあった紫耀くんだから自然と出来るのかもしれないし、意図的にそうしようと思ってるのかもしれないしそもそも紫耀くんにその意識があるのかもわからないけど、最近の言葉は、紫耀くんの内に秘めていた想いを出す代わりに肝心なところはベールに包んで隠されていたような気はしていて、そんな中で紫耀くんのやりきれなさも後悔も全部伝わってきてしまった言葉が「主演なのにね。」のこのたった一言だったので、この言葉を飲み込んだ瞬間からもうずっと魚の骨が喉にひっかかって取れなくなったみたいに苦しい…例えが下手だけど本当に骨がひっかかってるみたいに息するのが苦しくなるから私の中では全く間違った例えじゃない、察して…
舞台のたった1つの演目が自分的に不可能で周りから見ても出来ないようなことで、NOを出すことは責められることでもなくて、寧ろ紫耀はよくやったよ!って言われるくらいだったのに、そのたったひとつのNOを9ヶ月引きずりまくってやっとインタビューで話せるようになった男が作品全体を通して(しかも外部のお仕事で)主演としての心残りというか後悔というか、やりきれなさをほんの6ヶ月くらいで人に話せるようになるとはどうしても思えないんだよな…私が見てきた紫耀くんはそうじゃなかった…変わったのであればそれはそれで良いことなんだけども…!
ただ、舞台のことに関しては紫耀くんの言葉から伝わる後ろ向きな感情はあまり無かったように思うんだ…なんというか…やっぱりこちらが受け取りやすいようにしてくれていたというか…もう時間も経って自分の中でしっかり整理はついていたように思うし、ちょっと冗談めかして言っていたというか…言葉の受け手に対しての配慮を感じたしそう出来るだけの余裕があったんだと思った…
でも、この、「主演なのにね。」は紫耀くん自身にも読み手にも配慮を感じなかった。悪い意味ではなく。
その配慮をするだけの余裕を感じなかったって言った方が語弊は少ないかもしれない。
紫耀くんがあれほど望んでいた映像のお仕事をできて、たくさんの嬉しさも楽しさも伝わる言葉や写真ばかり見てきて、嬉しさが隠しきれなさそうな言葉が並んでるのがなんだか微笑ましく感じてた。文字媒体にされる言葉を伝える時の紫耀くんは良くも悪くも感情を一定に保とうとするというか、嬉しいも悲しいも同じ温度っぽかったし、それが紫耀くんの正解だと思ってた。
だから温度の伝わる嬉しさに、本当にこの映像のお仕事が心の底から嬉しかったんだろうなぁと思ったし、紫耀くんの人生にとってとても大きな転機なんだろうとも思ったけど、隠しきれない感情にまさか切なくなるようなものまで含まれてるとは思わなかった。
時間がたたないと切ない感情の整理がつかない紫耀くんが、嬉しさを見せたことで、間違って(という言葉が合ってるのかはわからないけど)一緒に出してしまったやりきれなさなのだとしたら私はこの言葉を紫耀くんを応援し続ける限りずっと大切にしていきたいと思うし、紫耀くんが変わり始めてるのであれば別の話になるけど、根本が変わらないのだとしたらなんとなく、この言葉ほど切ない感情の乗った言葉が届くことはもう無いのではないかと思っている。
だから、骨はずっと喉にひっかかったままでいい。